遠まわりは手短に

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20220717

先週、友人が亡くなった。26歳だった。


交通事故だったらしい。ニュースにはなっていなかったし、地元の新聞のお悔やみ欄にも載っていなかったため、詳細まではわからない。




彼とは幼稚園からの知り合いで、小学4年生の頃に僕の家が引っ越すことになり転校してからは会う機会が減ってしまったが、中学生の頃まではそこそこ遊ぶ仲だった。

今回その報せを知ったのは、彼と同様に引っ越して以降なかなか会わなくなっていた友人から、約10年ぶりにLINEが来たのがきっかけだった。

久しぶりに遊びの誘いかなぁ嬉しいなあ、と少し心を躍らせる中、彼から告げられたのは友人の訃報。

あまりに突然のことで気が動転してしまい、事実を受け入れられずにいた。

電話が終わった直後、通夜や告別式の場所が書かれた紙を撮影した写真が届いた。「訃報」と題されたその紙に、彼の名前がちゃんと書かれている。

事実であることはわかっているがそれを咀嚼できないでいた。1時間ほどその場から動けなかった。



幼稚園の頃、よく彼の家に遊びに行かせてもらった。彼の家は結構お金持ちで、お屋敷感溢れる大きい家だった。またゲームもたくさん買ってもらっていたようで、ゲームキッズだった僕たちはよくそこで最新ゲームを体験していた。ゲームキューブ初めて触ったの多分あいつの家だな。

小学生の頃、うちの親が運転する車に友達みんなで乗ってイトーヨーカドー行ったな。でんぢゃらすじーさんの新刊買ったわー。

僕が転校した後もちょこちょこ会ってて、友達家族も含めてみんなでUSJとか行った。あとそいつん家の別荘が長野にあるということで一回連れてってもらったこともあったな。朝早く起きて近くの川を見に行ったらめちゃくちゃ激流で、恐れ慄いてすぐ戻ったなw あとその時の夏休みにそいつん家に泊まらせてもらって、2人で近くの銭湯に入って、食堂でたこ焼き食べたなとか。

あと時系列戻るけど、幼稚園の年中かそこらの時、友達家族みんなで旅館に泊まりに行って、布団敷いて寝る時そいつと隣同士だったんだよなー。「俺はこうやって寝る!!」つってバンザイしながら寝るポーズしたら笑ってくれたんだよな。俺が誰かを笑わそうとした大喜利回答の最古かもしれない。


多分最後に会ったのは高校1年生の頃かな。別の友人宅に泊まらせてもらって、小学校時代の仲良し4人で過ごしたのを覚えている。

あの時、確かロンドンハーツの年末SPをみんなで観たんだよなー。調べると、それは2011年12月27日だったらしい。

それから10年半会っていなかった。



こうして思い返すと思い出は結構たくさんあるのだが、その多くは10歳にも満たない子供の頃の話。

具体的にどんな話をしたかという記憶だったり、彼が何が好きで何が嫌いかとか細かいパーソナルな情報だったりは、当時は子供すぎて意外とほとんど覚えていないのである。

個人の趣味趣向が確立する前の話だったので致し方ない部分もあるが、それにしたってそんな仲が良かったのに、なぜ10年半もほとんど連絡も取らず会っていなかったのか。



それは僕自身のしょうもない自意識が関係していたりする。

小学生の頃ぐらいまでは、自分で言うのも気持ち悪いが、けっこう人気者だった。誰かを笑わそうとボケたりふざけたりするのに夢中だった。

それが中学3年生くらいになると、人見知りが強くなり、どんどん内向的な性格になっていったのだった。

こっそりアニメなんか見始めて所謂オタクになっていき、陽気ではなくなったこの姿を昔の友人たちに見られたらなんと思われるのだろうか…

と勝手に後ろめたくなっていき、なかなかこちらから連絡を取ることは無くなってしまった。

そしてなんだかんだで転校した先の友人ができていって、そちらで遊ぶことが多くなる。昔の友人たちもそちらの地元で新しい友達グループが出来上がっていったのだと思う。

そうして結局、遊ぶことはないまま10年が過ぎた。




久しぶりの連絡がまさかこういう形になるとは悲しいものだ。

しかし報せを聞いても、事実がすぐに受け入れられず、涙が出ることはなかった。

悲しいけど、これ本当の話なのか?悪い冗談じゃないのか?

別の友人から話を聞くと、8月に結婚式を挙げる予定だったそう。その直前にこんなことになってしまうなんて。そんなことあんの?本当?

そう思うともうなんだか訳がわからなくなってくる。嘘であってくれと。







今日、彼の通夜があった。黒いネクタイを締めて会場へ向かった。

車で向かう道中、正直気が進まなかった。

悪い嘘であってほしい。現実だと認識したくない、そういう思いでいっぱいだった。



会場へ到着。すると涙を流して会場から出てくる人の姿が。

何これ?やっぱマジなの?



受付をしようとすると、先日僕に連絡をくれた友人の姿が。

亡くなった彼とは小・中・高と一緒で、先週も会っていたばかりだったそう。

気丈に振舞っていたが、正直それどころではないだろうに。こいつはすごいな、強いな。



記帳をしてからホールに赴くと、彼の遺影が大きく飾ってあった。

そこでようやく、これは現実なんだと思い知らされた。

ボロボロと涙が出てきた。


先ほども書いたように、彼とどういう話をしたかとか好きなものはなんだとかそういった情報はあまり知らないのだ。

それでも、彼が友人であるという事実は、幼少期の頃の記憶には深く植え付けられているのだと、ここで改めて認識した。

同級生の友人の突然の死というのはこんなにも悲しくて寂しくて切ないのか。

焼香台の前に来ても手もなかなか動かせずにいた。

一緒に来た自分の母親もそれは同じだった。



棺桶の中の彼の顔を見た。

とても綺麗な顔をしていた。ただ眠っているだけのようだった。

それでも彼が起き上がらないことに深い悲しみが襲ってくる。



喪主を務めている奥さんや、昔から知っている彼の両親や兄弟に挨拶をした。

「ご愁傷様です」と言うのが精一杯で、涙が溢れてしまい、何もかける言葉が見当たらなかった。

気の利いたことなどひとつも言えずに終わってしまった。



受付をしていた友人に挨拶をしてその場を去った。

コンビニでコーヒーを飲んで休憩した。一旦落ちつかないと、ちょっとそのまま帰るのは不可能だった。









今回思ったのは、「てめぇのしょうもない自意識で人と会うことを躊躇うんじゃないよ」ということだった。

人はいつどうなるかわからない。今回のように理不尽に命を落とすこともままある。

自分のように後ろめたい自意識を抱えてる人がもしいたら言っておきたい。

会える時に会っておかないと一生言葉を交わすことなく終わってしまうことだってあるぞ、と。そんな自意識クソだから捨てろよ、と。


楽しく過ごすはずだった人生が急に終わりになってしまったのは揺るがない事実なのが本当に悲しい。

生きている自分達ができるのは、もうなんとかして希望を持ってこれから先を生きていく、営みを続けていく、それしかないと思うんですよ。

当たり前のことなんですけど、命を大切にして最後までやってくしかない。それだけ!






心よりご冥福をお祈りします。あなたは僕の大切な友達です。