遠まわりは手短に

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松本人志に憧れて1週間だけ金髪にしてみた話

金髪っていいなあ。オシャレだなあ。

金髪っていいなあ。ナメられなさそうだなあ。

金髪っていいなあ。ダウンタウン松っちゃん似合ってるよなあ。

金髪カッコいいよなあ。



と、なんの脈略もなく、金髪にしたいなあとぼんやり考えたのが3月。

会社勤めなので普段は実現できない願いなのだが、見事GWに1週間休めることが確定したので、4月の終わりから5月の頭までやってみる事に。


そんな段取りを決めた頃の4月3日。吉本興業110周年記念公演『伝説の一日』で、ダウンタウンが30年ぶりに漫才をした。配信で見たその映像はあまりにもカッコよかった。ほぼ打ち合わせなしであんな面白いことができるのは凄すぎる。

最近、会社の仕事量が増えるなどし、おそらく通常の人間よりキャパシティが少ない僕は若干疲弊気味で、趣味のラジオ番組聴取はなんとか追いつけるもののテレビ番組の視聴はだいぶ滞っていた。

だが、あの漫才を見て活力が湧いた。疲弊してる場合じゃないと。もしかして疲弊してると思い込んでるだけで、もっと楽しいこと探せるんじゃないの?と考えた。

諦めていたラヴィット!の毎日視聴を翌日から始めたり、有吉の壁やアメトーーク!など好きなはずなのに滞っていた番組の視聴を再開したり、充実したお笑い番組ライフを送るようになった。










そういえば、思い出したことがある。


それは2008年、僕が中学1年生の頃。テレビは好きだしお笑い番組も好きだが、特定の芸人を好きだという気持ちはあまりなかった時期。

ある時、YouTubeにアップロードされていた『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の、ダウンタウン2人だけのトークを観て、衝撃を覚えた。こんなにアドリブで面白いことができる人間がいるのか!?と。今となっては違法視聴はダメであるが(当時もダメだけど)、そんな法律など知らなかったし、また規制も緩かったあの頃。ほとんど消されていなかったフリートークの動画を音声だけダウンロードして、ウォークマンに入れて何回も狂ったように聞き返す日々を送った。何回も聴いて話の展開は覚えているはずなのに、何回聴いても飽きない2人の鮮やかなトークに夢中になっていた。

その頃から、松本人志への憧れが止まらなくなっていた。今思うと恥ずかしい話だが、小学生の頃からぼんやりと「お笑い芸人になりたいな」と考えていたのだが、その夢はだいぶぼんやりとしていた。だがそこに明確な憧れが生まれた。




その翌年、中学2年生の頃。引き続き松本人志への憧れは止まっていない。

何か形から入りたい…そう考えた僕は、髪型を松本人志に寄せようと思ったのだ。その髪型は紛れもない坊主。思春期の男子ならまず選ぶことのない髪型である。野球部ならともかく、水泳部に所属していた僕がわざわざ坊主にする必要は一切ない。あと、はねトびで坊主をイジられてたKAT-TUN田中聖も既にこの頃は坊主じゃなくなってたので、彼に憧れて…みたいな適当な言い訳は通用しなくなっていた。なぜそんな状況下で坊主にしたいのか?理由は明白。松っちゃんに近づきたいから!!!それだけ!!!


行きつけの銭湯の入り口近くにある床屋に入った。店員さんに「どんな髪型にしますか?」と聞かれた僕は、「坊主」と直接言うのはさすがに恥ずかしかったので、「スポーツ刈りの前髪ないバージョンで」と注文したのだった。

「それ坊主じゃないっすか?」と聞き返された時には心が折れそうになったが、「いや坊主って言うよりかは…」と適当に誤魔化して坊主じゃないことを強調した。坊主って言うよりはなんなんだよ。

髪を切り終えた。鏡を見たらそこには坊主が座っていた。正確に言えばスポーツ狩りの前髪ないバージョンなのだが、まあ坊主ってことにしといてくれ。

その日、銭湯までは親が車で送迎してくれていたのだが、坊主になった僕を見た時の母親の表情が今でも忘れられない。何も口には出していなかったが、心の中で「は???」と言っていたのはよくわかる。息子だから。

翌日登校したら、当たり前だが友達に笑われた。だって急に坊主になってんだから。そりゃそうだ。そのシーンを今思い返すとだいぶ恥ずかしいのだが、当時の僕は「松っちゃんに近づけた」というキモい安心感に纏われて恥じらいをそこまで感じ取っていなかったように思う。ちなみに、頭髪だけ近づけたところで、笑いのセンスが磨かれるはずがないため、実際のところ松本人志には一切近づけていませんでした。残念。




普通の人であれば、一度そんな恥ずかしい思い出を作った床屋に二度と行くことはできないと思うが、僕は恥ずかしさを感じるのが人よりだいぶ遅い。当時は何も思っていなかった出来事から4〜5年経ってから急に恥ずかしさを覚えて記憶を消したくなることがよくある。なのでその床屋には構わず継続して通っていた。

中学を出て高校に上がった頃、いつも通りそこで髪を切ってもらっていた時、いつも担当してくれている店員さんが、独立して自分の店を立ち上げる事を教えてくれた。その時、適当にこちらが店名を予想したら、奇跡的にバッチリ的中したというハプニングも発生。そんな運命的な出来事が起こるなんてちょっと縁起がいいな…という事で、そこからは銭湯の床屋ではなく、その店員さんの美容院に通うことになった。

高校の頃は、昼に電話して放課後にカットの予約を入れることができるくらいには空いていた美容院。高校を出て社会人になってもずっとそこでカットしてもらっていたが、ここ3年ぐらいは、急に予約を入れようとしても埋まっていることが多くなっていた。その店は従業員を雇わず、店長1人で回しているため仕方がない。昔に比べて自分の予約がなかなか入れられないのが面倒臭くもあり、でも人気店になりつつあるのが客ながら嬉しくもあった。










そして時は流れて2022年4月末。ずっと通っているその美容院で、金髪にしてもらうことにした。

あの頃とは違って、芸人になりたいなんて思いはない。高校の頃、自分にはコミュニケーション能力が著しく足りないとわかり、それに加えて一般的な教養もないし、あと度胸も覚悟も、それ以前に笑いのセンスもないことも判明した。いくらなんでもそれでは芸人になれないと、どこかで勘付いてしまった。

普通に就職して良かった…勘違いしたまま芸人になって売れずに泥を啜るような生活を送る羽目にならなくて本当に良かった……と、いつだったか心の底から思った。


それでも、伝説の一日で見たダウンタウンの輝きは圧倒的だった。あの頃考えていたのは"松本人志になりたい"だったが、今回は"松本人志への尊敬の念を自らの身体で表現したい"という想いが根底にあった。

4月28日の午後、仕事を終えて美容院に向かう。かねてから金髪にしたいという旨は伝えていたので、スムーズにブリーチへ移行した。あの頃と同じで、「松本人志に憧れて」などとは言えなかったが、あの頃坊主にしてもらった人と同じ人に今回もやってもらっているというのは個人的に感慨深いものがあった。何を勝手に感慨深くなってんだよコイツ。キモ。将来ハゲろよ。





2回ブリーチを行って出来上がった金髪がこちら。松本人志どころか、R-1グランプリ一回戦でしっかりと落ちるピン芸人みたいになってしまった。だが別にいい。金髪になれたのだから。それでいいんだよ。

周囲からの評判は思っていたより好評であった。唯一、兄からは「グレート義太夫みてえだな」というジャッジも下されたが、画像検索したらグレート義太夫の金髪画像はほとんどヒットしなかったので、却下です。評判良かったということにさせてください。


思っていたより印象が変わったので、鏡に映る自分の姿がなんだか自分じゃないような気分に。なのでテンションが基本高めになった気がする。そんなゴールデンウィークを過ごせたのでやって良かったなと。来年もやるわ。たぶん。

仕事もあるし流石にそのままで過ごすことはできので、翌週の5月5日、同じ美容院で黒に染め直してもらった。そこから数週間経った今、ちゃんと落ちてきて茶髪になっております。。



というわけで最後に一言。ダウンタウン万歳!!!あなたたちが僕の生きる糧です!!!!