遠まわりは手短に

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コミュニケーションにオチを求めすぎなくてもいいと気付いた

最近知り合った人とメッセージを交わす機会があり、自分なりに面白いと思ってユーモアを交えた言葉を書いて送った。あとで読み返したとき、「これ返事に困るだろうな……」と思った。幸い返事はしてくれたしそのユーモアに乗ってくれたのだが、気を遣っての行動なのではと思う。


何かしらの「おもしろ」の要素で楽しませたいとか印象を良くしたいという気持ちからの行動なのだが、ここで改めて気付いた。人とのコミュニケーションの中で、何かと「おもしろ」を求めてオチをつけようとするのは良くない癖なのではないかと。人と喋る時も、おもしろい話をしようとかオチをつけなきゃとか考えちゃってるけど、もっとみんなその場の雰囲気をなんとなくで楽しんでいる。そもそも自分に面白おかしいオチをつけられる技術はない。


なぜこうなってしまったのか。多分だがテレビ見て過ごしてばかりで人と関わってこなかったのが大きく影響しているのだと思う。もちろんテレビが悪者なのではない。テレビの中では芸人やタレントたちがおもしろい会話をしてオチをつけて「作品」として成立させている。それが仕事だしテレビ局はそれを商品として放送している。しかし、自分は、テレビの中で行われているような、オチを求めるコミュニケーションがデフォルトなのだと思い込んでしまっていた。テレビはそのままでいい、しかし自分のコミュニケーションのやり方は見直した方がいいと思った。


「おもろい奴でありてえな」という思いは昔からあったし、多分それは変えなくていいんだろうけど、本来ならあるべきはずの「適度なコミュニケーション能力」を捨てていたというか、それを持つという発想がなかったというか、おもろかったらコミュニケーション成立っしょ!!みたいな思想でいたというか。おもろい奴願望とコミュ力は両立できるはずなのにそれをしてなかった、気付かなかった。会話の流れで自然な「おもしろ」を出すことは問題ないだろうし、おもろい奴願望があるおかげでそういう時に笑ってもらいたいという気持ちはやっぱり間違ってはない、はず。ただ、なんとなくで雰囲気が楽しい時に、オチつけまっせ〜!的なおもしろを提供しようとするのは、多分違うんだと思う。むしろ、そんな空気じゃない時のおもしろは圧力ですらあるのではないかと思い始めた。


この辺のことをChatGPTに聞いてみたら「何事も真剣に捉え過ぎている」的な回答が返ってきた。真剣に考えなきゃ人生じゃないだろ!という気持ちはやっぱ捨てられないんだけど、最近新しく人と関わる機会を経て思ったのは、非常にシンプルで、「もっと空気を読んだ方がいい」だった。肩の力をいい感じに抜いて会話したほうがいいんだろうなと思った。


俺の中では当たり前で正解だと思っていたコミュニケーションも、人によっては圧に感じてしまっていたのかもしれない。この辺を改めていきたい。もっと早く気付きたかったぜ〜〜!!